桜を見て思ったことを殴り書きした

世間が外出自粛を頑張り始めて早数週間。

最近の私は、人となるべく接触しないように深夜に散歩をしています。

そこで、普段は何とも感じなかった「外」という世界を出歩いて、改めて気付かされたことを書いていこうと思います。

 

「人工物」と「自然」という対比は破綻している

今日は深夜に散歩して、桜を見に行きました。

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桜の花って、純白可憐で一つ一つが綺麗で、木や枝単位で見てもとても立派に咲き誇っているように見えて美しいです。

桜の木って、所謂自然の中で見ても道路脇やビルの中庭という人工物の中で見ても違和感なく綺麗に見えてしまいました。夜桜なんて、月に照らされていようが人の作ったスポットライトに照らされていようが大衆は『綺麗』という一言で片付けてしまう。

要は、桜は自然そのままでも美しく、人工物の中でさえも意味合いを同じくして美しくあれるんだなあと感じました。(街灯があってこそ映える桜の木々)

 

自然を取り戻そうと活動されている方々には申し訳ないと思うんですけど、正直、人工物にまみれたこの世の中で自然を取り戻すなんてナンセンスだと感じてしまいました。

人工物の中に自然をぽつんと置いても違和感はないけれど、自然の中に人工物がぽつんと置かれていたらかなり違和感を持つ。

これからの日本は人口減少型社会になり、田舎の高齢集落に建物だけが残り人が消えていくと考えると、いかに人工物を自然の中で保つかということが大事なのかもしれないと思いました。

 

こうして見ると、今まで自然と人工って対義語で捉えられていたけど、実は類義語なんだなあと改めて気付かされました。ありがとうございました。